0系新幹線の11月完全引退,原色塗装に乗りに行こうかな

高校野球が終わって北京オリンピックが終盤を迎えて
好きなプロ野球MLBが殆ど中継されなくて
『つまらん』とぼやいている,しお爺今日この頃
んがっ『祝女子ソフト金メダル』
いや~,上野選手の3連投,凄かったわいの~(∩_∩)

まず最初に今日は写真無しっと書いておいて
11月に完全引退する0系新幹線のハナシ



しお爺,新幹線開業当時の少年時代はワクワクしたもんだけれど
あまあま鉄っちゃんな今は新幹線があまり好きではない(^^;
昭和ノスタルジーと言われても,利便性と速達性を追い求める新幹線には
しお爺にとって鉄道旅行の『アジ』が無いのだ
『アジ』ってナンダと言われると,それはそれで困るのだが…
移動の楽しみと言うか乗る楽しみと言うか
ビールを飲みながら車窓をぼけ~っと眺めるコトと言うか…
なんかそんな感じ(.。)☆\バキッ

んがっ,短距離の在来線をひーこら言って乗り継いで
遠い目的地に辿り着く気力も体力も根性も無いしお爺
今では移動を楽しむ必要の無い旅ではもちろんワープ三昧
きっちりすっきり便利な新幹線を利用しているのだった

もっとも移動を楽しむにも長距離の昼行列車は道内の一部しかなく
夜行列車は北海道方面を除いて死滅してしまった状態なのだけど…



な~んてコトはさておき,しお爺が新幹線に初めて乗ったのは
昔の事で記憶はあやふやながら,開業した昭和39年かその翌年の冬に
岡山から山梨を経由しての群馬への帰省で乗ったように思う
その時はなにしろもう『夢の超特急』な時代だったから
初めて乗れるってんで鉄道好きの子供としてワクワクドキドキだった

岡山の県北から新幹線に乗るには
姫新線を走っていた朝の急行『みまさか』で大阪に出て
大阪から1駅だけ新快速・快速・各停のどれかに乗って新大阪
新大阪でようやっと新幹線に乗り換えという経路だった
ともかく乗りたがりやのしお爺で,鉄道には長く乗っていたいのだが
この時ばかりは『早く新大阪に着かんかな~』
ウキウキしていたのを覚えている

イザ乗ると,子供だけにちっともじっとしていない(^^;
当時12両編成の5・9号車にあったビュッフェに行っては
『夢の超特急』を誇るようにでーんと付けられていた
速度計を見ては飲みたくも無い冷水を飲んで
また席に戻るを繰り返して怒られたものだった
ペラペラの冷水用紙カップも当時は珍しかった
車内販売で何か食べ物か飲み物を買ってもらったのだが
さすがに今となっては覚えていない(v_v;)

ただ,山梨経由での帰省だったので;『ひかり』ではなく
『こだま』で静岡で降りなければならなかったのが
子供心にザンネンだったコトを覚えている
どっちも同じ車両だったのだが,子供にはワカランのだd( ̄~ ̄)
どうやら始発から終点まで乗りたい気性はこの頃からのものらしい…
静岡で一泊して,翌朝の身延線直通80系急行『富士川』
身延線のトンネル数を数えながら山梨の祖父母の元へ帰省したが
これも終点の甲府ではなく2つ手前の東花輪で降りるのがとてもザンネンだった

確か両親の持っているしお爺用の写真アルバムに
ちょーしこいて新大阪駅のホームで0系新幹線をバックに撮った
その時の白黒写真が残っていた
白黒だけに新幹線のアイボリーホワイトにブルーのラインは
単に白地に薄い黒帯になっちゃってるけど(^^;
オマケに40年以上前だから,写真は完全にセピア色

新幹線開業の年に祖母が亡くなって急遽帰省するコトになった時は
東海道の夜行準急に一晩揺られて,朝の東京駅で殺人的な混雑の
山手線に乗り換えた事を思うとウソのような快適さだった
新幹線全盛の今となってみると
もし東京~大阪を走る準急や急行が復活すれば乗ってみたいものだが…
多分,その根性は今は無いっ( ̄▽ ̄)☆\ぱこ



学生となって上京してきたしお爺,帰省は時々新幹線を使った
『時々』と言うのは当時の上京学生にありがちな
慢性金欠病のためで,新幹線の特急券代を節約したのだ
東京からは大垣夜行で出て普通列車を乗り継ぐか
せいぜい全席指定の臨時急行銀河で大阪まで
戻りは旅費を貰って,当時岡山まで開業していた新幹線でぴゅ~っと戻る
ってな感じだった

今思えば,東海道線の急行『東海』や
大阪から山陽・九州方面に数多く出ていた急行列車にも
もっと乗ってあげればよかったかな~と
ちょこっとだけ悔やまれたりもするしお爺なのだ(^^;
終点まで気性を発動してしまって九州まで行っちまうと
岡山の両親に『西鹿児島まで迎えにきてくれ~』などと
こりゃ困ったコトになったかもしんない(.。)☆\バキッ

0系新幹線ではないけれど,1列車に長~く乗っていたい性のしお爺
この頃に名古屋~大社間を走っていた急行『大社』
夏休みの帰省をした事もあった
大垣夜行で名古屋まで行って,名古屋から鳥取まで乗りっぱなし
名古屋から東海道線を下り,米原で方向を変えて北陸線
敦賀でまたまた方向を変えて小浜線から舞鶴線
綾部からは山陰線を餘部鉄橋もする~っと走り抜けて鳥取へ
乗るのは好きなしお爺だけど,痩せてるお尻が擦り剥けそうになった(^^;
鳥取から因美線で津山に至った時は東京を出て2日目の夜だった
今はこんな無茶な列車は走らせないだろうなあ…
もっとも走らせても,名古屋から鳥取までなら新幹線でワープして
はくといなばを乗り継げば3時間くらいだから
利用するヒトはよっぽどの物好き(.。)☆\バキッ

この時はまだ東北新幹線も開業しておらず
0系新幹線と言う呼び名もなかったように思う
ただの『Shinkansen』で,100系以降もなくて
ひかりは16両編成にはなっていたけれど,ただの1種類の0系電車だった



仕事を始めてからは出張やドサ回りで
東海道以外の新幹線にもお世話になったけど
また気が向いたらぶつぶつ独り言を書くとして
JR西日本によれは現在山陽新幹線のこだまで運用中の
0系新幹線はオリジナル色で運行しているらしい…
(JR西日本おでかけネット→0系新幹線に乗って出かけよう

子供の頃にワクワクさせてもらったコトだし
完全に引退してしまう前に乗りにいってみようかな

ただしっ行き帰りを新幹線ってのは面白くないので
夜行ならば『サンライズ』『富士ぶさ』
やっぱり廃止される予定の富士ぶさを絡めて
山口線のSLやまぐち号もついでに乗って
温泉も絡めないとつまらんっってコトで
山陰の玉造皆生あたりの温泉でどっぷり
あ,どっちが主体なんだかワカラン(.。)☆\バキッ

なんてなおそ~い夏休みでも計画してみようかな(゚-゚)

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