たまには鉄っちゃんらしく,パートⅡでつらつらと乗車の記憶と時刻表新旧比較で北海道編,これまた文字だけ

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『1986年1月』『2006年10月』

しお爺が初めて北海道に渡ったのは大学2年の時,バンドの先輩のベースさんに誘われて,ひこーきも初めてだわ,スカイメイトなんつーもんは知らんわ,カニを食べたコトもなかったし,当時は魚介類は魚卵も含めて生も焼いても煮ても総じて全然ダメと言う状態で,スカイメイト料金(当時は片道9900円)で札幌千歳にボーイング747の最後尾座席でゴー!ってな按配だったのだ(^-^;

この旅行はベースさんの友人が札幌に居たのでそのヒトの車を借り出して,途中の悪路でパンクしてスペアタイヤもパンクしてて6時間足止めなんつーコトをやりながら,ほぼ1週間かけて北海道の東半分を回ってきたのだった

その後,もう一度この先輩ベースさんと一緒に,今度は空路函館入りして道南から道央を巡った時の最終日,帰りの飛行機に乗るためにまだ当時は平屋だった札幌駅から『急行ちとせ』千歳駅まで行ったのは覚えているしお爺なのだ
当時,『千歳空港』『千歳』にあるもんダと思い込んでいたらしい…
当時既に開業していた1つ先の『千歳空港』(現:南千歳)まで行けば良かったのに,おマヌケなコトだワ(v_v;)

その後今に至るまでに何度も道東には行っているしお爺,道路事情が良くなるのはヨイのだけれど,『妙に便利な観光地』と化してしまったり,その反面鉄道が寂れていくのを見るとチョットな…と思ったりもしないワケでもないのだ



ひこーきがちょいと苦手だったしお爺,北海道に本格的に渡り始めたのはやっぱり昭和63年の『青函トンネル開通』以後のコト,開通当時は混み合っていて出張の予定はあっても指定は取れないし1年間近く放置しておったしお爺なのだ(^-^;

その間に九州夜行を思う存分堪能するべく山陰経由,京阪神発着の夜行もすべからく網羅して日本の西側の制覇を目指したけど,客車寝台時代の『急行だいせん』には結局乗れずに廃止されてしまった…,何度も出雲1号で追い抜いたのに,ザンネン(v_v;)

初めて青函トンネルを通って北海道に鉄路で乗り入れた時はまだ奈良在住のコロだったので,大阪から『日本海3号』で青森,青森からはまだ国鉄色だった485系『はつかり』で函館,函館からは旧塗色のキハ183系『北斗』で札幌に向かったのだった
このトキは『北斗星』に乗るのが目的みたいなモンだったので,札幌駅のコンコース内で味噌ラーメンを食べただけで,そのまま『北斗星4号』のロイヤル(現:SA1)で上野に戻ってきた

今となっては1往復が廃止されて『北斗星』は1~4号だけれど,当時の下りは『1,81,3号』,上りは『2,82,4号』だったのだ
まだ客車や食堂車の改造も間に合ってない状態で,81,82号はオールハネ(B寝台)の季節列車扱いで運転していたし,JR東車の『北斗星3,4号』は青森駅には入らず青森信号所経由となってて,当時しお爺の乗った『北斗星4号』も函館駅で進行方向を変えるのみで上野駅に到着したモノ,最初は右に進んでいたのが,目が醒めるとなぜか左に進んでいると言う奇妙な方向感覚を味わえたのだな(^-^;

ちなみにこの時期はまだ『消費税』が導入されておらず,ロネ,ロザ(A寝台,グリーン車)は『通行税1割』の時代だったコトを付け加えてみたりする,あ,『1等車』・『2等車』時代ではないので念のため(.。)☆\バキッ

上野に到着したしお爺,東京に移動して新幹線で奈良に戻ると思いきや,そのまんま九州夜行で出張先の博多まで行ったのだ
これぞ『必殺!大廻りの術』発動d( ̄▽ ̄;)☆\ぱっこ~ん(ー_ー#)ドコガ,ヒッサツヂャ

青函トンネル瀬戸大橋の開業で,この『必殺!大廻りの術』は,乗り鉄しお爺の中では『鉄路』日本規模になったのであった( ̄~ ̄)エッヘン☆\ぱこぱこ

奈良在住のコロの東京出張,東京に異動になってからの京阪神・九州出張が札幌経由になったのはこの時期以降のことだったのだ(^-^;



当時,運転を始めたのが大阪~札幌間の『トワイライト・エクスプレス』,奈良在住の頃だったけれど,個室とツアー主体のコイツの指定を取るのは,『北斗星』同様走り始めたトキはなかなか難しかった
今は9両だけど,当時はロイヤル,スイート車両が1両の5室しかない8両編成で,オープンのB寝台も2両しかなかったのだ

ようやく大阪発の下り(当時は上り8001列車)のロイヤルが取れたのは,走り始めてから1年くらい経ってからだった

東京に転勤になってからの大阪以西出張では,行きか帰りのどちらかに必殺大廻りの術を発動させていたけれど,トワイライトはどうも大阪発よりは札幌発方が取りやすくて,札幌大廻りでは上野を『北斗星』で出て『トワイライト』で大阪へというパターンが多かった

それから以後は,個室にウェルカムドリンクを持って朝食予約を取りに来た食堂車のクルーに『また,アンタか』と言われるくらい乗ったものだ( ̄▽ ̄;)☆\ぱこーん
当時はトワイの食堂車のクルーは固定編成でメンバーが変わらなかったのだ

パブタイムのコーヒー代ポケットほいほいのコトがあってからは,食堂車クルーのコトはあんまし乗ってないんでよーワカラン(.。)☆\バキッ



しお爺が北海道に『鉄』で足繁く行き始めた青函トンネル開通の頃に『国鉄民営化』が行われて,津軽線の新中小国信号所以北の津軽海峡線『JR北海道』となった(客扱での区分では中小国駅,特急も快速も停車しないケド…,あ,今は快速『海峡』も無いな)

民営化と青函トンネル開業で一気に廃止されてしまった道内の路線はいっぱいで,本線と付いた『名寄本線』まで廃止されてしまった
まー,今となってはそれについて何を言ってもしょうがないけれど,ただ『急行紋別』には乗りたかったのだな(^-^;
乗れなかったのが悔しいので網走に行ったときにオレンジカードなんぞを買ったり,友人と2人で道東めぐりをした時に名寄から中湧別まで廃線跡を車で辿ったりしたしお爺だった

JR化の時点で天北線回りの『急行天北』は廃止されて,それまでの客車急行『宗谷』を含めて宗谷線回りのキハ400系の気動車急行『宗谷』2往復になってしまった
しお爺,『客車』が好きで,こりゃ,性分だもんでどーしよーもないのだd( ̄~ ̄)☆\ぱこ
キハ400系気動車『宗谷』には何度か乗ったけれど,やっぱり客車時代の『303レ』『305レ』に乗りたかったと今でもチョット悔やんでいたりする(v_v;)

道内の客車昼行急行と言えば,最後の頃は函館発札幌行きだった山線回り101レ『ニセコ』
客車時代には乗ることができなかったけれど,JR化で廃止されたあとゴールデンウィークで2両編成の気動車(キハ58系,ナント2両なのに車販員1名付き!)で運転された『臨時急行ニセコ』には何とか乗るコトができたのだ

当時,道内夜行は『ミッドナイト』,『はまなす』,『まりも』,『大雪』,『利尻』とあって,ミッドナイト以外は全て客車,昼行の普通列車でも50系客車を使った列車もちらほらあって,ED75?牽引の小樽発岩見沢行の客車を狙って乗っていたりしたしお爺だった
『まりも』,『大雪』,『利尻』は辛うじて客車時代の寝台に間に合ったけれど,今は『まりも』以外は季節の臨時気動車に成り下がってしまった

『まりも』も『大雪』の『オホーツク』化同様一時期『おおぞら』と呼ばれてた時期があったけど,元に戻ってからは夏場だけ根室延長運転をしてみたり,『北斗星まりも』ってなモンを根室まで運転してみたりと,名前に対する執着が大きかったのかな…
元は函館から道東に走ってた列車だけに,歴史と愛着があるのかナ( ゚-゚)トオイメ



今はE26系『カシオペア』でちょっと…つかかなーり(^-^;影が薄くなった『北斗星』だけど,前に書いた通りの発生形態を辿っておったのだな(.。)☆\バキッ

その『北斗星』,夢空間車両(25系,オシ,オハ,オロネ901)の連結もあいまって夢空間で山陰や北陸地方にも遠征したコトもあったけれど,イロイロな臨時があったのだ

しお爺,乗ることができたのはこんなモンかな…

・北斗星トマムスキー
横浜~トマム(なーんで新得まで客扱しなかったのかな…)を走ってたのに横浜からトマムまでオロネ25 901の1号室に乗車
横浜駅では東海道線の退避線から発車,鶴見駅手前で貨物線への渡り線で横須賀線,西大井から貨物線経由で大崎から現在の埼京線へ
青森駅には入らないで青森信号所から海峡線,沼ノ端から室蘭線を経由して追分から石勝線へ,朝飯喰ってる時に沼ノ端駅先の信号を通過しちゃった(^-^;
函館からは赤いDD51単機で牽引してたのが印象的…
後日北斗星トマムサホロのSA1にも乗ったけれど,上野発だったのでちょっとなー

・北斗星ニセコスキー
上野~札幌だけど山線回りの北斗星で退避の関係でちょいと編成が短いヤツ
長万部駅で函館線回りのホームに入って,ぞろりんと単線の山線に出て行く,途中で対向列車の待ち合わせをするけれど,対向列車で来るのはキハ40系単行ワンマンがガォー(^-^;
小樽で50分近く停車するのは,札幌駅での機回しを考えて,小樽で重連のDD51のうち1両をケツに回すためだった
小樽~札幌はDD51単機で牽引して,ケツに回したDD51で手稲に回送するのだな
おかげで小樽駅で改札を出て,おたるかにめしを2個もゲットしてしまったしお爺なのだ(^O^;
夏場運転の『北斗星小樽号』も,小樽駅で重連のDD51のうち1機を機回しして札幌方に繋ぐのだな
手稲までは機回しした1両で牽引するみたい…

・夢空間北斗星
北斗星3往復時代に『エルム』と一緒に運転していた夢空間車両連結の北斗星
下りは北斗星トマムスキー同様に長万部で1レ(北斗星1号)に抜かれるスジで運転しておった
長万部駅停車時間が10分あったので『かなやのかにめし』も買えないではなかったけれど,いかんせん時間が早すぎた…orz
上りは黒磯で待避ホームに入って,2列車(北斗星2号)が通過してから発車するのが常だったのだ
しお爺,こいつにはいっぱい乗った(.。)☆\バキッ

・北斗星まりも
コイツは知ったのが遅くて乗れずじまいだったのだ
根室延長運転のキハ183系まりもに根室から乗るのが精一杯…(v_v;)

これ以外にも宗谷線を走った北斗星があったように思うが,乗れなかったなー

トワイライトも3編成目が落成のトキに,中国地方一周旅みたいなのをやっていた覚えがあるけれど,これまた乗れずじまい…,3編成目には試験導入されたゴールデンウィークに新車の匂いのする時に札幌から乗ったけれど,それだけだったな(v_v;)



『客車』となると書きたいコトはいっぱいなのだけど,書き始めると収集がつかんのでヤメっ!(.。)☆\バキッ
と言うか,とりとめも無いコトでブログにまとめられないのだな(^-^;

居酒屋で酒を傾けながら,あーでもないこーでもないと言う…
あーじじむさいてっちゃんっ!( ̄▽ ̄;)

スマンス(v_v;)ノ ちゃんちゃん

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この記事へのコメント

2007年03月01日 16:54
だいせん・・・
私も乗らず仕舞いでした・・・
って、鳥取は妙な時間に通過するので利用できなかったというのが本音ですけどね~w

先ほど、奈良発東京経由九州行きに脱帽しましたが・・・
もっと上があったのですね~r(^~^*)
北海道東京経由九州行きですか・・・
帽子は脱いじゃいましたから・・・あとは脱衣ですか??w
しお爺
2007年03月01日 21:59
>ドラ猫さん
鳥取では『だいせん』は使い辛い時間だったですね
乗り鉄では倉吉か米子まで行って戻ってきたりするのデス(^-^;

横浜に住んでたコロの大阪出張で,帰りは北陸回りの『北陸』で小回りなんつーのもあったのデス
あ,愛媛に友人の快気祝いに行くのに札幌経由2泊3日っつーのもあったな(.。)☆\バキッ
ちゃむちゃむ
2007年03月01日 23:32
ちゃむの記憶の中の鉄道といえば「食べること」につながりますね。いまだにくやしいのは
新幹線の食堂車を利用したかったのに廃止したことが.....。いつの間にか東海道新幹線の駅弁から都ホテルのがなくなったというのがちょーくやしいざんす。
冷凍みかんがあるから、いいですけど。
なくなったら、いやだな~
京都駅限定のビールがあるんですけど。
お茶が急須型でよく冷めるのも懐かしい思い出です(プラスチックの味がしますね。)
しお爺
2007年03月02日 21:30
>ちゃむ様
鉄道旅と言えば『駅弁』ですねー(∩_∩)
今の列車は窓も開かないし立ち売りの駅弁を買うと言う訳にはいかんですが…

北海道内の特急では,停車駅ごとの有名駅弁を車内で予約して買えるサービスがあったりするのデス
しお爺は長万部の『かなやのかにめし』と帯広の『豚どん』が大好きなのだー(.。)☆\バキッ

新幹線の食堂車が廃止されたのは残念だったデス
100N系グランドひかりの2階の食堂車が好きだったのにな…
新大阪~東京のひかりで夜の1本だけ『寿司屋食堂車』のひかりがあって,出張帰りによく使ったものデス(^-^;

九州夜行の食堂車も全廃されて久しい今は,食堂車と言えば北斗星,カシオペア,トワイだけになっちゃいました(T▽T)

ちゃむ様は都ホテル派ですか
しお爺は帝国ホテル列車食堂のカレーとカツサンド派だったりするデス(.。)☆\バキッナイワッ!

お茶もペットボトルで売られるようになって,昔ながらの容器で売ってるトコも少ないですネ